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時の新しいみつめ方

時が滑るように流れていく。世の中も滑るように変わっていく。
永六輔さんも、大橋巨泉さんも同じ空気の中にいた人がすっといなくなるとなぜか漂っていた文化も持ち去られたような気がする。だが、時代は去るのではなく、次の時代に移るのだと自分に思いきかせていないと深い悲哀に引きずられてしまう。自分のサイズを知っていた仕立屋さんも、丁寧な散髪をしてくれた理髪店も、気に入っていた封筒を売っていた文房具屋さんも、おいしいイカスミを出してくれた店も、ひととき一人になれたお蕎麦屋も張り紙一つで消えていく。私は密かにその別れから抜け出す方法を考えるようになった。皆さんにもおすすめする。消えていくものがひとつあれば、それに代わる何か新しいものをひとつ探しだす。新しい店の発掘、新しい料理の発見。新しい映画、新しい本、新しい飾り物、新しい人との出逢い。ふしぎなものである。未知なることは求めれば年齢がいくつになっても見つかるものである。人間社会、そう捨てたものではないと思い続ける。が、千代の富士が消えてしまった。