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私の書棚 その2

ICUに入学。誰もが憧れたアーネスト・ヘミングウェイが好きになる。アルバイトをして、ヘミングウェイ全集を買う。未だ見たこともないパリへのあこがれ、ベルエポック時代の優美な文化に心惹かれた。F・スコット・フィッツジェラルド、そしてヘンリー・ミラーから粋な頽廃の匂いを感じる。それからマルキ・ド・サドに至る怪しい青春の読書放浪をしたことをほほえましく思い出す。先日、葉山でのパーティでヘンリー・ミラーと結婚生活を送ったホキ徳田さんに偶然お会いし、帰りの湘南電車でお話しすることができた。一瞬、昔買った本のことを思い出し、帰宅して書棚からヘンリー・ミラー全集を久しぶりに手に取った。

ヘンリー・ミラー全集 (ヘンリー・ミラー全集)

私は高校時代の後期から結核を病んでいて、当時江古田にあった中野療養所に通院していた。ここで立原道造が療養していたと聞いていたので、憧れを持って治療を受けていた。堀辰雄、そして坂口安吾、梶井基次郎、椎名麟三、横光利一を読んでみる。かれらには繊細な人生の美学を感じたが、孤独な自己愛に誘い込まれる危険を感じて、本を変えた。結核は一時期かなり重度であったが、奇跡のようにタイミングよく開発された新薬のストレプトマイシンの効果はてきめんで快復した。本を読む気力が生まれ、そのころは新しい時代感覚を感じる小説に関心が動く。三島由紀夫の『仮面の告白』、『金閣寺』、『美徳のよろめき』、そして『豊饒の海』へ。大江健三郎の『死者の奢り』、『万延元年のフットボール』から安部公房の『飢餓同盟』、『砂の女』らの新世界に誘われた。

同時にフランスから生まれた実存主義に誰もがそうであったように熱中し、マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』、カール・ヤスパースの『哲学入門』を大雑把に読む。実存についての想いはその後、文学に向かいジャン・ポール・サルトルの『存在と無』から『嘔吐』へ、そしてアルベール・カミュの『異邦人』を愛読する。自分自身、大学時代は実存主義者を気取ったが、それはあまりにも時代の風潮に流されすぎていると自覚し、もう一つの新しい潮流、コリン・ウイルソンの『アウトサイダー』に共感する。共同体に違和感を覚えていた自分をアウトサイダーのひとりと規定し、それが時代の生き方にふさわしい新しい存在感でもあると教えられた新感覚の著作だった。

201611b(嘔吐)

当時、毎週通っていた新宿の紀伊国屋書店で手に入れたユダヤ系ドイツ人のエーリッヒ・フロム著『自由からの逃走』に出逢ったのはこのころである。自由を謳いながら、自由から逃走する人間がいることの怖さをナチスの支配力が進む時代に書いたリアルな自由論だった。しかも人間が自由を手に入れるとその自由を生かし切れずに、その自由から逃走するという道を選ぶことがあるという分析はナチ支配に向かうドイツの姿を見事に分析し、それが私の生涯の座右の書として選ばれた。戦後を超えて動きだした1960年代を模索する時代だった。

      自由からの逃走(自由からの逃走)

 

(次号へつづく)