プロ野球の球音が聞こえはじめた。2011年まで私は横浜ベイスターズの後援会副会長を務め、毎年春宜野湾のキャンプに行っていた。なぜ私が?と聞かれることが多い。1953年の小学生時代、私は巨人ファンから洋松ロビンスのファンになった。じゃじゃ馬と言われた青田昇という選手のレフトスタンドへ巻き込むようなホームランにあこがれて、彼のトレードと一緒にチームを変えてしまった。それ以来1960年と1998年の2回しか優勝していないチームだが、ファンであることは変えていない。最下位を幾度も経験したから、たまに勝つだけで嬉しいという自虐的言辞でファンを続ける。だが日本シリーズは8勝2敗、勝率8割で全球団中第1位のはずである。このチームのファンだというとどうして?という反応に逢う。私はこんな知的な逆転を図る。白洲次郎もファンだったんだ、と。事実、彼の秘書の久野修慈氏がこのチームの球団社長を務め、谷繁選手や石井琢朗選手を入団させている。ファンとはここまで情報を知り合う同志なのである。TBSが所有球団になり、私が全登録選手66人を3分で言えるとオーナーに自慢し後援会副会長に抜擢された。その名刺はテレビマンユニオン会長の名刺より大切にしている。