私の著書「テレビジョンは状況である」の映像版第6回になります。
中国とのいろいろな精神的違和感が日本と中国の間に重い風が吹き抜けています。こういう時こそ政治を超えた文化の精神的交流が大切と思います。
あれは1983年のことでした。当時中国と日本はピンポンというスポーツだけが交流できる時代でした。文化大革命の真最中、道路は青い人民服だらけでした。そのときふと、音楽で外交はできないかと思いはじめたのです。スポーツは言葉がわからなくても交流ができました。音楽もそうではないか、言葉がなくても心は結ばれるのではないか、当時、海峡をへだてて中国と台湾の間にも厚い空気圧がありました。台湾からはたくさんの優れた音楽家が育っていました。中国では、ピアノの演奏でさえままならなかった時代です。みんな一緒に日本でコンサートをできないか。台湾のヴァイオリニスト林昭亮、上海のピアニスト李堅が共演に喜んで参加する意志を示しました。政治的にはそれは許されないと強く否定されたこともありましたが、その発想は多くの政治的障害を越えて実現しました。朝日新聞が大きな紙面を割いてそれを報道してくれました。この若い二人は東京で早稲田大学オーケストラとそれぞれ、ベートーヴェンを演奏し、そして最後にビートルズのレット・イット・ビーを演奏します。最後に二人の抱擁、政治を越えた抱擁。これが海峡に隔てられた悲劇を越える文化交流です。