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朝鮮半島にモーツァルトを流す

この夏、朝鮮半島は非武装中立地帯での地雷爆発と、大型拡声器の宣伝放送について、南北が緊張を続けていたが、私は1993年、その朝鮮半島で不幸な分断を余儀なくされているDMZ(Demilitarized Zone)に行ったことがある。私の著書『テレビジョンは状況である~劇的テレビマンユニオン史』(岩波書店刊)にその経緯は詳しく書いてあるが、ふしぎな旅であったことは事実である。朝鮮人民共和国と大韓民国を分断するそのDMZは陸海の248キロに渡る軍事境界線で、双方の軍隊が数万人、銃を相手の陣営に向け続けている。近距離の境界線では、人の顔がわかる。至近距離の陣営も見え、川を挟んだだけの分断もある。そこで番組を制作したのは、このDMZが人にとっては最も危険な地域と言えるのに対し、自然の動物や植物にとっては実に安全な環境であるという対比が面白く、私はその皮肉を戦争の緊張状態の逸話として描こうとしたものである。
そこに生きる数々の動植物の生態。

DMZのロケ

写真は、一般人が入れないDMZ鉄原の民間人統制線内で、北からもやってくる蝶を追いかける奥田瑛二と慶熙大学校教授 申裕恒先生と私である。

この非武装地帯周辺に危険を冒して行ってみるともう一つの戦争の悲劇的な現実を知らされ、次第に国境というテーマに広がっていった。北朝鮮から南の韓国に泳いでくる渓流のキムイルソン魚、DMZの周辺を囲む人民統制線の中の木には、憂うることなく青鷺が巣を作り、産卵している。地面は地雷だらけである。人間という外敵がないゆえの鳥の楽園になっている。毎日北から南の池に水を飲みに飛んでくる一羽の白鷺。人口の90%が軍人という軍隊の島ペンニョンドで、海岸からは対岸の北朝鮮の軍隊の防衛基地がすぐ見える島である。海鳥が岸壁に自由に巣を作り産卵し、オットセイの親子がおびえることなく泳ぎ回り、牡蠣や雲丹がとれ放題という島で、その村の民家で食べた冷麺の味をスタッフ誰一人今も忘れない。

1993年6月22日、その島から朝鮮戦争終戦40周年の板門店に船と車で向かい、その後国境を挟む夕刻のイムジン川に向かった。

私の番組のクライマックスに使おうとした企画、あの巨大な拡声器を使って、北がキムイルソンの演説を流すのに対し、南からはモーツァルトのピアノ協奏曲第21番をながしてぶつけてみるというアイデアを実行する。暮れていくイムジン川にやがて流麗なピアノの音が流れ、金日成の声に重なるとき、それが不協和音に聞こえかったことの不思議な感動を今も忘れない。

もしかしたら、あれは北朝鮮の兵士たちにとっても初めてのモーツァルトだったのではないだろうか。一瞬の平和にすぎなくても貴重な記憶となる。しかし、その緊張は今も続いている。