blog

私の書棚 その3

リベラルアーツを標榜する大学の環境はすべての精神を包みこむようなキリストの教義に基づいていた。その雰囲気で大学生活を過ごし、私はごく自然にアメリカの民主主義、自由感に同感した。当時はジョン・F・ケネディ大統領の至言に心惹かれていた。そのスピーチに素直に感動する青春期だった。

―「私たちは今までになかったようなことを夢見る人たちを必要としています」=ケネディは大統領就任演説で、― 「国民の皆さん。国が皆さんになにをすることができるかではなく、皆さんが国のために何をすることができるかを問うて欲しいのです」。この言葉は、40代になってから私がテレビマンユニオンという組織を運営するときの考え方に大きな影響を残すことになる。

しかし当時はその言葉のほんとうの重い意味を理解していなかったかもしれない。やがて当時の私の甘い未来観はより現実的な未来観に変わっていった。

1964年TBSに入社。新人だが、東京オリンピックの収録に駆りだされた。1年後演出部へ異動。ドラマ制作の担当になる。書棚を見ると、この頃から私の読書傾向が変わっていったように思う。映像と著作を結びつけるために本を読むようになる。先輩演出家たちによる北杜夫の『楡家の人々』、三島由紀夫の『鏡子の家』、『剣』などのドラマ化を見てその思いはさらに強く触発された。その中でも作家高橋和巳の本との出逢いは大きかった。『散華』、『憂鬱なる党派』、そして『邪宗門』。宗教集団の壮大なる叙事詩だった。

憂鬱なる党派 散華

憂鬱なる党派      散華

邪宗門

邪宗門

 

 

 

 

 

 

 

私は『邪宗門』をドラマ化する企画書を書き、黒い表紙に銀色のタイトルを筆で書いて会社に提出した。それは一冊の本ほどの厚さの企画書だった。しかしその企画への解答は全くなかった。それが無視だったのか、拒否だったのかもわからなかった。

TBSに入社して5年目ころから、あのTBS闘争が始まった。成田事件、田英夫事件、TBS社内での不当人事異動闘争などが連続的に勃発。その間、私は演出部に籍を置きながらもTBS演出部から指示される業務も少なく、映画の鑑賞に多くの時間をさいていた。フェリーニ、ベルトリッチ、ヌーベルヴァーグ、ゴダール、ヒッチコック、キューブリック。それは今私の映画の大切な聖域である。私は世に言われる劇的な闘争~TBS闘争にも距離を置きつつ、映画館を巡っていたが、そのときに出逢ったのが映画『2001年宇宙の旅』である。アーサー・C・クラークのSF小説を原作としていたが、原作が出来上がったのは映画の制作後だった。映画と小説が映像と文学と言う両面で私の創造の心を揺さぶった。

 

2001年宇宙の旅

2001年宇宙の旅

 

TBS闘争に関わっていた先輩たち、萩元晴彦、村木良彦、今野勉の共著『お前はただの現在にすぎない』に出逢ったのも同時期である。これは新しい組織論として私を刺激した。その本でメディアを知的にとらえる新しいテレビ論を知る。その先輩たちが組織する自由なる創造の組織を志すというテレビマンユニオンの結成に際し、私も誘われた。私は30秒でYESと答えた。この即答はメンバー参加の最短時間だったと後から言われた。TBS退社は私にとっては叛乱ではなく。自分の自立への旅立ちだった。自分で選択した自意識だった。

お前はただの現在にすぎない

お前はただの現在にすぎない

(次号に続く)