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那智滝図に流れる心

<2012年5月31日 記>

骨董通りの奥にある根津美術館を訪ねる。琳派の尾形光琳の作品が特別展として、展示されていた。根津美術館所蔵の尾形光琳の国宝「燕子花図屏風」がメトロポリタン美術館所蔵の「八橋図屏風」と並んで展示されていた。 

この根津美術館に熊野の滝を描いた名品、鎌倉時代の国宝「那智滝図」がある。この滝の図に魅入られたフランスの文化人がいた。アンドレ・マルローである。文化大臣を務めた権威者でもある。マルローには「空想美術館」という発想があった。自分が空想でコレクションした絵画の写真だけで構成する美術館である。自分の摂理でその美術館を作り、自由にコレクションする。マルローの摂理は厳粛で、絵画が高い精神性を持って描かれている作品だけの空想美術館となる。そこに写真で収蔵されたこの垂直に流れ落ちる滝の絵画が放つ高雅な精神性に私も沈黙する。絵師は不明である。 

マルローの日本での足跡を追う番組を企画した時、私はマルローの娘フロランスに来日を求める手紙を出した。彼女はフランソワーズ・サガンのマネージメントをする女性であり、監督アラン・レネの夫人だった。しかし、手紙への返事は無い。企画を推進することをあきらめかけたとき、私の友である女優ジャンヌ・モローから突然電話がかかる。「フロランスを日本に誘っているでしょう。どうして私に教えてくれないの」。フロランスは偶然同じアパートに住んでいるジャンヌの親友だった。ジャンヌが彼女の部屋に行くと、私の招待を断る手紙を書いていた。その手紙の宛先に私の名前を見て、ジャンヌは言った。「黙って日本に行きなさい。断ったらだめよ!」。

 フロランスは根津美術館で、「那智滝図」を見て、言葉を失い沈黙する。そして次の日、熊野の那智滝に行き、荘厳な垂直の水しぶきにやはり沈黙する。日本の静謐を共感する。 

ジャンヌ・モローが京都国際映画祭に来たとき、私も同行した。私が演出し、彼女が出演した番組「ガラとダリ」(NHKスペシャル)がちょうど放送される日で、都ホテルで一緒に見た。彼女は京都で仏僧と結婚していたフランス人の友人夫妻も招いた。このフランス女性と日本の僧という取り合わせは、なぜか自然な国際的融合を見せた。ふたりは京都の哲学の道で偶然出会い、結ばれる道を辿ったと言う。番組の最後、ダリとガラが並んで納められた2つの棺にジャンヌが小さな白い野の花を捧げるシーンで友人の女性が泣きはじめた。そしてジャンヌとフランス語の会話がしばらく続き、ジャンヌとの深いいたわりの抱擁に私は口を挟めなかった。夫妻を廊下に送る。女性は振り向いて「ありがとう」と私に言った。それは高貴な京の寺の僧が使う「ありがとう」のアクセントだった。ドアを閉めたジャンヌが言った。「彼女はあと数ヶ月の命しかないのよ」。あのときの「ありがとう」の一言は今も忘れられない。

(重延 浩)