column

私たちは生きてる 生きてる、動いてる

<2023年7月31日 記>

■私のオフィスの窓からぬいぐるみの愛犬、ドーベルマンのソラリスが外をずっと観察してきた。しかし、コロナの感染を避けて、そのソラリスも顔をマスクで3年以上覆っていた。ようやくそのマスクを外してあげた。さあ自由の空気を好きなだけ吸って、心の解放に向かっていこう。

■1992年から毎年開催してきたヴィオラスペース。ヴィオリスト今井信子さんが提唱した弦楽器ヴィオラを基調とする音楽祭である。今年で31年を重ねる開催となった。今年は「ヴィオラへの愛」、「愛のヴィオラ」と題して、東京、大阪、仙台でそのコンサートを開いた。コロナの感染が広がっていても、このヴィオラスペースは休まずに継続している。演奏家も聴衆もコロナを避けずにその音楽を楽しむ。さあコロナもひと時その活動を休んで、音楽に耳を傾けてほしい。

ヴィオラスペースは海外からも多くのヴィオリストが演奏に参加する国際的音楽祭である。世界的ヴィオリスト今井信子、そしてアントワン・タメスティも加わり。そのヴィオラスペースをリードしてきた。

この演奏会を毎年心待ちにしているファンが数多く存在することはとてもうれしいことである。テレビマンユニオンの音楽事業部が心尽くして開くコンサートである。

■このヴィオラスペースにご自身がヴィオラを演奏する天皇陛下を4年ぶりにお迎えすることができた。音楽を愛する陛下は6月5日、このヴィオラのコンサート「ヴィオラスペース2023」を楽しまれた。皇太子殿下時代からたびたびこのコンサートに足を運ばれていたが、今年は天皇陛下ご即位後初めてのご臨席だった。陛下は静かに2階席の最前列中央の席につかれた。その御様子はフジテレビのニュースで報道された。

平成4年に始まったこのコンサートは、今年で31回目の開催。今年は「ヴィオラへの愛」「愛のヴィオラ」をテーマにシューマンのピアノ四重奏曲やモーツァルトの弦楽五重奏曲、そしてバッハ、ブラームス、ハイドン、ヴィヴァルディ、プロコフィエフ、ヒンデミット、ヤナーチェクらのヴィオラの名曲が演奏された。陛下はヴィオラの美しい音色に聞き入り、曲のたびに拍手をおくられていた。若い演奏家たちはきっとそれを生涯の記憶に残すことだろう。陛下も若いヴィオリストの成長に心を打たれたご様子だった。

■ヴィオラスペースのコンサートを終え、またコロナの日常に戻る。コロナは感染者を減らすことなく、町の中を浮遊する。不安な日々がまたはじまる。自由が拘束されつづける。コロナの感染は一体いつ終わってくれるのだろうと100年ほど前のスペイン風邪の歴史を調べてみる。

1918年からはじまったスペイン風邪(スペインインフルエンザ)。それはまだ第一次世界大戦中のことだった。その風邪は世界をめぐり、世界人口の25%から30%が感染したという。死者数は5000万人を超えたともいわれる。

スペイン風邪で数々の芸術家が命を落とした。ウイーンではグスタフ・クリムトとエゴン・シーレという2人の画家がスペイン風邪で亡くなった。

1919年、ムンクもスペイン風邪と思われる病にかかり、そのやせ細った自画像を描き残している。

スペイン風邪はヨーロッパの音楽界でも大きな脅威となっていた。ストラヴィンスキーも

  《兵士の物語》初演の直後にスペイン風邪に感染している。もともと《兵士の物語》は第一次世界大戦後の経済的苦境から抜け出すために、わずか7人の小編成のアンサンブルで、旅の一座のようにあちこちを巡ろうとしたときの曲である。それはスイスのローザンヌで初演されたのだが、なんと、初演後にストラヴィンスキー本人と家族、さらには巡業を企画するエージェントまでも感染してしまい、プランは中止になってしまった。作曲家自身の言葉を借りれば「長く憂鬱な病気」だった。

■1918年(大正7年)に始まり1920年(大正9年)まで続いて世界に猛威を振るったこのスペイン風邪は日本にも大正7年5月から9月まで第一波をもたらし、同年10月から翌大正8年5月までの第二波ではさらに感染を拡大させて多くの死者をだし、同年12月からは陸軍の兵舎が感染のるつぼとなって40万人に近い死者をだし、翌大正9年5月までこの風邪の大きな波は広がり続けた。このパンデミック禍で愛人松井須磨子と「芸術座」を立ち上げた島村抱月が大正7年11月に死去、愛人を失った女優松井須磨子は彼の後を追って2ヶ月後に自殺する。この時期は第一次大戦の終焉期にあり、戦争景気で喜ぶごくわずかの資本家だけが富を得て、庶民は日々の食料も儘ならぬ状況にあった。そんな時代、米騒動も起こり、演歌師添田唖蝉坊は必死に生きている民衆の姿を見て『イキテルソング』を唄う。

「ほんとにエライもんじゃ  生きてる  生きてる  生きてる証拠にや  動いてるよ」。

なるほどと、頷く歌詞である。

誰かこの令和のコロナのことをムンクのように、唖蝉坊のように後世に残してほしいと思う。そう、現代の私たちも、生きてる  生きてる、動いているのだから…。