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本屋さんのおいしい空気

<2023年11月30日 記>

■私は仕事に追われて疲れたとき、そっと抜け出して本屋に行くのが好きである。幸い会社の近くには青山ブックセンターがあり、下北沢の家の近くには三省堂書店がある。こんな大きな書店でも「ちょっと本屋さんに行ってくる」と言って外に出る。本屋さんという語感が好きである。本屋さんにはその本屋さんの思想があって、本の並べ方に店それぞれの工夫がある。本の並びは本屋さんの〈個性〉である。私は本屋さんのその個性を楽しむ。その店の平積みや棚の本の並べ方を見て、本屋さんそれぞれの姿勢を楽しんでいる。

■日本の本屋さんが始まったのは京都だという。はじめて「本屋」と名付けたのは、本屋新七という人である。苗字が本屋さんだったのは偶然なのだろうか。江戸時代の初期1609年(慶長14年)に本屋新七は京都で、『古文真宝』という中国の漢詩本を出版した。
京都には今でも素敵な本屋さんが多い。江戸時代から400年も営業を続ける日本最古の本屋とされる『永田文昌堂』がある。創業は江戸時代初期の慶長年間という。その後400軒ほど本屋が全国に生まれ、その9割が京都にあったと言われる。京都は江戸時代から本屋さんの町だった。
では東京の本屋さんは? 江戸時代の版元として知られるのは須原屋茂兵衛。明治時代まで9代にわたって続いた出版をする本屋さんである。江戸書林の魁と言われた。蔦谷重三郎は、浮世絵や洒落本、黄表紙本といった娯楽の本を出版していた。喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵なども世に送り出したのも彼だとか。流行を追うのが上手な本屋さんだったという。

■1990年代末、昭和時代の日本には全国に2万3000店舗以上の本屋があったが、今は日本の本屋の数が激減しているという。20年ほどの間にその数が半分に減ったと聞く。特に地方都市の本屋さんの閉店が激増していると聞く。名古屋市の正文館書店、大分市のジェンク堂書店などその地で歴史的に愛されていた本屋が消えていくのは、その店を愛した人にとって、大切な文化の思い出が消えていくような思いになったに違いない。インターネットが台頭し、今はネットで書籍を購入できる時代となった。

■アマゾンの創業者ジェフ・ベゾスはアマゾン川のような世界最大のオンライン本屋さんをつくることを望み、Amazonを創業したという。売り場を持たずに多くの本を販売することができ、お客さんは欲しい本を検索するだけで簡単に探すことが出来るAmazonが非常に便利な存在だと、本格的に事業をスタートさせた。その便利さが本の流通を拡大する。オンライン本屋の出現で、棚に本を並べて客の到来を待つ町の本屋さんはその数を減らしていくことになる。
でも私は思う。Amazonがいかに便利と言ってもそれはキーボードから伝えられる情報である。本屋で棚に並ぶ書籍の中から気になる本を偶然発見するという体験はぶらぶら徘徊できる本屋さんだからこそできると私は思う。その本を手に取り、装丁を眺め、本の厚みを手に感じ、開くと紙と印刷の匂いが漂う本の手触り、あの楽しみはネットにはない。本屋は単に本の売り場として存在するのではない。客は本を買うことだけが目的ではなく、本に囲まれた特別の空間で過ごす時間を楽しみに来る。その環境が激減していくのは悲しい。
巨大書店の先駆け、八重洲ブックセンター本店が今年3月、44年の歴史に幕を閉じた。1月には『MARUZEN & ジュンク堂書店渋谷店』が幕を下ろすなど、近年は都心の大型書店の閉店も目立つ。本屋ファンにとって悲しい環境破壊である。

■しかし、今ひそかに独立書店と呼ばれる、小規模ながらも独自の個性を発揮して店づくりをする ”小さな書店”の開業も増加しつつあると聞く。私が聞く限りでも、2015年には6店ほどだったのが、2021年には79店の書店がオープン。全国で小さな書店が少しづつ生まれているという。きっと個性的な若い人が生み出しているのだろう。楽しみな本屋の逆襲である。

■岩波書店は、大正2年に創業したが、最初は古本屋さんだったという。その後文芸・学術を標榜する出版社となる。今年8月、その岩波書店から私が執筆した『ボクの故郷は戦場になった』という本が岩波ジュニア新書として出版された。第2次世界大戦下の樺太のありのままの姿を4歳の少年の目で見たままに書いた本である。樺太は終戦後であるにもかかわらず、ソ連軍に侵攻され、少年の町豊原が占領された様相を思い出してみた。侵攻してきたロシア兵たちと4歳の私がふしぎな交流をしたその姿をありのままに書いた本である。本が売れないと言われる時代の執筆、出版だが、内容の評判は良く、ほっとしている。まだ本屋さんの棚に並ぶまでは至っていないが、Amazonを経ての購読が多く、しだいに本の感想が届きはじめた。少年が見た戦争の捉え方が新しい感覚だと評価してくれる感想が多くほっとしている。本屋さんに並ぶとうれしいとおもいつつ、皆さんの感想を心待ちにしている。