column

ホッパーの夜鷹になる

<2012年11月30日 記>

落葉はパリに似合う。石畳に落ちた葉が歩く人の足にまとわりつく。そんなシャンゼリゼの果てで、ふと見上げるとグラン・パレで開催中の展覧会が宣伝されていた。ほんとうだろうか。私の大好きなエドワード・ホッパーの展覧会だった。幸運な偶然である。看板にはホッパーの1942年の作品「Nighthawks〈夜鷹〉」が描かれている。道路に面した安カフェの中の様子を横長のガラス窓から伺える。老人がひとりで3人の客の接客をする。ソフト帽をかぶった背広姿の男が赤いドレスを着た赤毛の女性とコーヒーを飲み終わって沈黙する。男の手には煙草がはさまれ、女は自分の爪をじっと見つめている。肌の張りを少し失った中年の知的な女性である。通りに背を向けて男がもうひとりうつむいて坐っている。この4人にはまったく会話が無い。夜も更けて人道りが途絶えた。静まりかえった音がその絵から聞こえてくるような心理の情景である。1枚の絵画にすでにこれだけの物語がある。日常を非日常にしてしまうのがホッパーの芸術である。「ナイトホウクス〈夜鷹たち〉」は、アメリカでは「夜更かしする人々」を意味する。

ホッパーの展覧会がパリで開かれるのは初めてのことである。1882年にニューヨークに生まれたホッパーは最初、ポスターなどのイラストレーションを描く商業美術家だった。美術学校で絵画を学びなおし、ヨーロッパでフェルメール、ヴェラスケス、レンブラントの作品に出逢う。そこで、無言の人間像、無機質にこぼれる光、漂う空気の味を感じたのだろう。パリを経てアメリカに帰る。アメリカで彼の絵画はしだいに、沈黙のひとびと、誰もいない風景、時を止める光の描写に傾いていく。

私は東京で、列に並ぶことを嫌う。どんなに目的があるにしろ、その時間を楽しめない。列を離れて、別の楽しさへ予定を変えることさえある。パリのエドワード・ホッパー展の列は大きく円を描いたあとさらにまた長蛇の列になっていた。30分ほどと想像した私の甘さは裏切られた。予約もしていない列の進行は極度に遅い。予想をあざ笑うように1時間、そして2時間に。落ち葉にあたっていた陽も翳る。しかし、私は列からの脱出を図らず人々を観察した。パリの人々は観察に値する。映画の登場人物のようにそれぞれの人生が見えてくる。寡黙な男と饒舌な女、4人グループのささいなお菓子の話、並ぶ人の顔をカメラで盗み撮りする男、指を絡ませながらささやきあう年齢差のある男女、壊れかけたヴァイオリンを弾いて小銭を集める老人、列をさばく太ったアフリカ系フランス人。寒さに耐えた行列は3時間を経てようやく料金所にたどり着く。中は鑑賞者の少ない展示場だった。絵画を静かにゆっくりと鑑賞させるという哲学を断固変えない美術館の姿勢に感動する。長い時間は無駄ではなかった。すぐにホッパーが10代で描いたモノクロの作品に出逢う。スタジオの横で顔を覆う女、劇場でただひとりだけ立ち去らずに坐りつづける帽子の男。さらにホッパーの成熟期の作品がならぶ。最前列の席で語り合うタキシードの男と豪華なコートの女、絹の下着姿でベッドの上に半身を起こした女性は、開いた窓からの朝日をまともに受けて正視する。1952年の「Morning Sun」である。会場には自分の思いにつながる絵画の前でいつまでもたたずみ続ける人が多い。絵画の鑑賞には、時間の自由感がある。ながく見つめることもできれば、直ちに背を向けることもできる。映画や音楽や演劇での時間との向かい方とは異なる緩やかな時間での鑑賞になる。

2012年も師走を迎える。今年は時の流れが速かったという人も多い。私の目の前のカレンダーは1年間エドワード・ホッパーだった。1月はレストランで野菜をつかむウエイトレス、2月はあの夜更かしの人々、6月は玄関で出がけの初夏の光を見上げる白いワンピースの女。8月は真夏の光を浴びる中年の紳士淑女、9月は深夜にガソリンスタンドの手入れをする老人、12月はオペラ劇場での正装の男女とバルコニーでカタログに読みふける紅いイブニングドレスの女、私の好きな作品「Two on the Aisle」である。そのページが終わるとカレンダーは捨てられる。私はいつも30日の夜遅くまで、ひとり会長室で一年の整理をしている。その年に送られた素敵な手紙を読み返し、写真を眺め、幸運なメールを保存する。きっとホッパーの絵にふさわしいような大晦日前夜である。その夜は私もナイトホウク(夜鷹)になる。

(重延 浩)