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銀座にも歴史の波乱がある

<2015年3月10日 記>

かつて行きつけていた場所が消えていくという悲しい変化は私だけが感じているのだろうか。大正は明治を消し、昭和は大正を消し、そして平成は昭和を消そうとしている。社会的な変化だけではなく、政治的にも、外交的にも、経済的にも、科学的にも、文化的にも変化が起きている。歴史の価値とは関係なく時代は動いていく。

2月22日、銀座を歩く。京橋の交番から解体工事が始まった銀座テアトルビルを見上げる。そこはかつての映画館テアトル東京だった。昭和30年に開業、最初の上映はマリリン・モンロー主演、ビリー・ワイルダー監督の『七年目の浮気』だった。シネラマや70に対応できる巨大スクリーンを持ち、『ベン・ハー』や『2001年宇宙の旅』もそこで公開された。私はその映画の列に並んだ一人である。しかしテレビ時代の到来で昭和56年には閉館の運命をたどった。そのあと昭和62年に銀座セゾン劇場(のちのル テアトル銀座by PARCO)と映画館銀座テアトル西友(のちの銀座テアトルシネマ)が誕生した。しかしバブルの崩壊でセゾングループは解体し閉館、再開後東京テアトルが劇場事業を継承していたが、財務上の限界から平成25年5月31日に閉館した。その後はゲームを主産業とするコナミグループのビルに変貌すると聞く。時代の波に乗った歴史の変化を感じる。

このビルに併設されていたホテル西洋銀座で私は毎年正月二日間を過ごしていた。日本で最初のコンシェルジュサービスを導入したホテルだった。小さいが贅沢なもてなしがあった。ホテルを出て脇道に入ると日章旗が斜めに掲げられ、和装の人々が新年の挨拶を交わす姿が見られた。日本の面影があった。毎年銀座一丁目の谷澤鞄店に入った。明治7年に創業、明治23年に銀座一丁目に進出し、「鞄商廛」という看板を店頭に掲げていた。明治天皇が銀座を通られた時に、お付きに「なんと読むか」と聞いたという。鞄の字は谷澤鞄店が革と包みの2文字を合成して作った漢字だった。この鞄店で私は毎年ひとつ鞄を買う。手に馴染む鞄である。

二丁目のトラヤ帽子店に入る。大正6年神田神保町に生まれ、昭和5年に銀座に進出、昭和35年に今の銀座二丁目で営業を始めた。ウインドウを覗くとどうしても一点は買いたくなる店である。パナマ帽の逸品やフェルトの粋な帽子が並ぶ。

銀座四丁目のキリスト教の書店、教文館。明治24年から銀座に出店した。アール・デコ様式の建築だった。三丁目側の入口に銀座で最古の回転扉が残っている。ICUの一年生だった私がここで最初に買った本がドイツの神学者カール・バルトの『教義学要綱』だった。

明治2年創業の木村屋總本店が今は銀座四丁目にある。明治8年、二代目木村英三郎が桜の塩漬けをあしらったあんぱんをつくり、美味が評判となり明治天皇に献上された。木村屋を出て和光の前から交差点に至る。2月22日、沿道にたくさんの人が集まっていた。約3万6000人ほどのランナーが参加したという東京マラソンだった。タイガーマスクやセーラームーンが走り抜けていった。銀座三越前に出ると大きなスーツケースを引っ張った中国人の団体とすれ違う。あゝこれがテレビで見た爆買いかと納得する。

和光の裏に入る。そこにシネスイッチ銀座がある。昭和30年代には銀座文化劇場と称していた。洋画と邦画を入れ替えで上映したので、シネスイッチの名前が生まれた。1989年に『ニュー・シネマ・パラダイス』が公開され最多動員数を記録している。83歳のジャン=リュック・ゴダールが監督した『さらば、愛の言葉よ』のチケットをシニアで安く買う。

ヌーヴェル・ヴァーグの旗手ゴダールが3Dを初めて使い、現代の愛とは何かを問いかける。相変わらず異色の手法を持込み、時に3Dを信じてスクリーンを見つめる観客の目に左右が異なる映像を送り、現実の映像を混乱させる。この映画は人間の視線と犬のロクシーの視線で物語られる。人間は幾度も「わからない」という言葉を発するが、ロクシーの行動は愛を感じさせる。ゴダールはこう言う。「人間以外で他の生き物を愛することができるのは犬だけだ」。作品は2014年カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞したが、ゴダールの愛犬ロクシーもパルムドッグ審査員特別賞を受賞した。

思えば1968年5月、カンヌ国際映画祭にゴダールとトリュフォーが乱入し、保守的だったこの映画祭を中止させた。時代の変化を感じたテレビマンユニオンの創立グループは同時期に独立への革新を始めた。1970年、テレビマンユニオン創立。今年2月25日にテレビマンユニオンは45年目の創立記念日を迎えた。その歴史だけは消したくない。

(重延 浩)