column

幻影を残す紐育(ニューヨーク)

<2015年5月31日 記>

ニューヨーク行きの飛行機のドアが閉められると私はほっとする。私の意識が海外にリセットされる。飛行機内が個的な空間になる。13時間ほどのニューヨークへの旅。時計をニューヨーク時間にしてしまう。ブラッディメリーを頼み、夕食を食べながら選択した映画を2本見る。誘眠剤を飲み熟睡し、着陸準備のアナウンスとともに目覚める。

ニューヨーク。ケネディ空港から次第にマンハッタンに近づくと、遠景としてのマンハッタンの高層ビルが見え始める。遮光がエンパイアステートビルやクライスラービルに反射し、陰影を際立たせる。ニューヨークへ来たと感じる瞬間である。いつも心が高ぶる。

ニューヨークは漢字で紐育と書く。なぜだろうかと思ったが余り意味が無いようだ。中国語のニューヨーク「紐約」が日本語では「紐育」になっただけらしい。テレビマンユニオン最初の海外取材で私がニューヨークへ行った時、1ドルは未だ360円だった。1日24ドルでニューヨークに待機し、そこで取材の指示を待つようにと言われたが、予約されたWARWICK HOTELがなんと1泊28ドルだった。食事代も無いマイナス予算に驚き自活を決意する。グリニッジ近くの5ドルの部屋へと移る。現金は500ドルまでしか持てず、日々残金は減っていった。25セント貨を握りしめ、地下鉄に乗り、終点まで地下鉄に乗ってブライトン・ビーチで泳いだ。時間を過ごすだけである。気がつくとまわりが皆黒人であることに気がついた。その浜辺は黒人と白人のエリアに分けられていた。そんな時代だった。1970年代初頭のことである。

 地下鉄は汚れきり、その上に色彩豊かに落書きが描かれる。それがアートにもなっていった。そんな地下鉄には一人で乗るなと言われても、20代の私にはお金の匂いもなかったから危険を感じたことがなかった。

 そのころ、いくつかのミュージカルを見た。キリストの復活を1970年代風に仕立てた『ジーザス・クライスト・スーパースター』や、舞台の俳優が全裸になる『OH!カルカッタ!』が一世を風靡していた。ハーレムの映画館ではジョン・ウォーターズが監督し、ディヴァインが怪演するカルト・コメディ『ピンク・フラミンゴ』が客を沸かせ、訳もなく2階から生卵が放り投げこまれた。マリファナがまるで煙草のように吸われていた。そんな中で、ブロードウェイの伝統を守って公演されていたのが『屋根の上のバイオリン弾き』、『ラ・マンチャの男』、そしてユル・ブリンナー主演の『王様と私』だった。

そんな70年代がマンハッタン島にパッケージにされていた。その島を今横から眺めると一瞬数十年前に戻ったような錯覚を覚える。しかしトンネルを抜けてマンハッタンに入るとそこはもう現実の2015年だった。街を歩くニューヨーカーの足は速い。それぞれが自由なファッション。おそらくはその内面には複雑な心理を背負い、迷いながらもニューヨークを離れられない人々なのだろう。情報が日々高揚してネットを飛び交い、食べ物一つの選択でも情報まみれになる。一つの選択にもそれぞれの個性が求められる複雑な社会になる。人種、宗教、階級、政治観、性、嗜好が混ざり合い、混濁する。そんなニューヨークで渡辺謙さん演ずる『王様と私』を見る。1950年代から演じられていた古典。初演から王様役だったユル・ブリンナーは、1985年に死ぬまで4633回の主演を務めた。今回の渡辺さん主演の『王様と私』もトニー賞で主演男優賞を含め9部門にノミネートされた。とたんにチケットは手に入らなくなった。いろいろな手を廻して私はオーケストラボックス近くの席に坐れた。渡辺さんの演技、いや演技というよりその存在感は素晴らしかった。欧米文化と自国文化の違いを意識する王の知識人としての姿も入れた新しい王の像を創っていた。表情、仕草、一言一言の英語の表現に渡辺謙はその存在感を繊細に示していた。そして最も難しいニューヨークの観客の「笑い」も生み出していた。会場はノスタルジーを越えて全席スタンディングオベーションになった。

歴史に記憶されるものを創る。その価値をニューヨークは知っている。だから演劇の舞台、ミュージカルの舞台、美術館、博物館、映画館は時代を記憶する空間になる。その空間は教えてくれる。クリエイターは記憶に残る幻影を創ることに熱情をそそぐこと。その夢がマンハッタンの空に漂っている。グローバル化されはじめた東京。そこを訪れる海外のひとびとから見て東京はそんな創造の幻影を残す都市になっているだろうか。

(重延 浩)