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恋愛には相対性理論は通じません

<2015年8月31日>

深夜にタクシーで帰宅するとき、私は距離の近さより好みの風景の道を選ぶ。表参道にある私のオフィスから下北沢の家に帰るには、渋谷から淡島通りを通る近道があるが、深夜にはつい表参道を西に向かう道を選ぶ。表参道の四つ辻を原宿方面に左折する。人の流れも無くなった参道にウインドウからファッションブランドの装飾的なLEDの光が無人の道に流れてくる。ガラスの奥のマネキンが深夜の衣裳を艶やかに競いあっている。表参道ヒルズの壁面がミッドナイトブルーに変化する。かすかに残された同潤会アパートの郷愁を通り過ぎ、ゆるく下る坂道を明治通りに向かう。ビートルズがみやげものを求めたオリエンタルバザー、ジョン・レノンがオノ・ヨーコとデートしていたレオンの記憶、セントラルアパートあと、キディランドを通って、オリンピックの競技がレリーフになっている原宿駅横の橋を渡る。

丹下健三設計の代々木第一体育館を左手に見て、代々木公園の緑に囲まれる。空気が少し冷える。NHKの現場スタッフが働くフロアーに灯りが残り、残業の仕事を想像させる。深町交番を過ぎると、住宅街に向かう装いを見せ始める井の頭通りになる。代々木上原には知られていない小さな菓子店、粋なバーが道沿いに散在する。大山から茶沢通りに入る。茶沢とは三軒茶屋の「茶」と北沢の「沢」を合成した名前である。自然の沢の中に3軒の茶屋があったと想像させる。茶沢通りは空襲による焼失を免れ、昔のままの曲がり方をする。戦後はここを都バスが走り、女性の車掌がバスを降りて、呼子を吹きながらすれ違う車に誘導の合図をしていた。そして小田急線の踏切。電車の往来が絶えない駅の横の踏切で、地元では「開かずの踏切」と皮肉っていた。今は小田急線も地下に潜り、タクシーが軽々と走り抜ける。下北沢の再開発で戦後の闇市のような駅前市場も和菓子のうさやが大正時代の看板を残すだけの地面を晒した姿になった。くすんだ劇場と飲み屋が並ぶすずなり横丁を通りすぎる。その次の信号で私は車を降りる。それから短い横断歩道をわたって、下北沢駅そばの自宅抜け道に向かう。私はその細い小道を重延ロードと勝手に名づけている。この私の好きな帰り道は20分ほどの静謐な心の旅になる。その時間に新しい発想が生まれる。仕事の雑音をすべて消す。

アメリカ、ニュージャージー州のプリンストンに素敵な道がある。それは戦前、ドイツからナチスの迫害を逃れて亡命してきたユダヤ人、アルベルト・アインシュタインが、家から高等研究所に毎朝歩いて通った並木道である。車の迎えを断り、自分で選んだ歩く時間のようである。その道で特殊相対性理論、一般相対性理論を超える新しい物理学「統一場理論」に思いを巡らせていたのだろう。相対性理論に新しく量子論、素粒子の原理が加わり、宇宙は今めまぐるしくその時間と空間についての認識を進化させている。色々な次元が私たちの住む宇宙を形成し、時間とはなにか、存在とはなにかとあらためて考えなおさせる。アインシュタインはそんな学究生活の中で、ヴァイオリンを弾き、ヨットに乗り、恋をし、ユーモアを語る自分の姿を見せていた。

「恋愛には相対性理論は通じません」。

と笑わせるが彼の真骨頂は現実的な平和主義である。

「民主主義の最大の悩みは経済的不安定だ」

「戦争には勝ったとしても、平和を勝ちとれていない」。

「第3次世界大戦はどう戦われるでしょうか。私にはわかりません。でも第4次世界大戦ならわかります。また石と棒を使って戦われることになるでしょう」。

そのアインシュタインが大正11年に43日間も日本を旅したということは余り知られていない。今その旅のことを脚本に書き、演出をする。2015年秋、長崎国際テレビの開局25周年記念特別番組として放送された。あまりにも真摯なアインシュタインの日本論、世界平和論なので最後はアインシュタインの舌出しの顔で終わろうかという冗談に、私自身からの自戒のささやきが聞こえる。こうして私は悩みながら編集機材だけの小さな編集室で、無機質なデジタルの指示に従っていた。そんな人生からいつあの楽しい美食の人生に戻れるのかと夢見ている。

(重延 浩)