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優れたハッカーは画家に似ている

<2016年2月29日 記>

2016年1月24日、人工知能の父マービン・ミンスキー氏が亡くなった。88歳、脳溢血が原因だった。1951年に24歳で世界初のニューラルネットワークラーニングマシーンを開発、ロボット研究のパイオニアだった。氏はマサチューセッツ工科大学(MIT)のメディアラボを立ち上げたメンバーである。今から31年前の1985年に私はミンスキー氏にお会いしている。「ヒューマンインターフェイス」というコンピュータと人間のコミュニケーションについての研究が始まったばかりの時だった。ボストン郊外のミンスキー宅には5台のピアノと2台のシンセサイザーがあった。その部屋でミンスキー氏が私に語ってくれた。「チンパンジーから人間になるまで、その進化には長い脳の進化があった。コンピュータは開発されてまだ40年しかたっていないが、その短い間に急速な進化をしている。でも人間の脳はとても複雑だ。200年から300年後ならようやくコンピュータも人間の脳のようになれるかもしれない」。ミンスキー氏は人工知能を開発しながらも人間のより深い能力を信じていた。科学と人間性のバランスを考えるフィロソファーだった。話し終わったミンスキー氏は私にシンセサイザーの演奏を聞かせてくれた。一匹のドーベルマンがそれに耳をかたむけていた。

ミンスキー氏の死の3日後、英科学誌『ネイチャー』は人工知能がはじめて囲碁のプロ棋士を打ち破ったと報道した。囲碁は難易度の高いゲームで天文学的な数の局面を計算しなければならないが、グーグルの開発による「AlphaGo」が、自ら学習するディープラーニング(深層学習)という手法で欧州チャンピオンに勝ったという。そのラーニング法はこれからあらゆる人間社会で応用が可能になると言われる。将棋界での藤井聡太はこのAlphaGoクラスの読みができる棋聖とも言われる。デジタル世界の人工知能はミンスキー氏の想像よりも急速に進化しているようだ。感慨深い。

1984年、私はスリランカの首都コロンボで無為な時間を過ごしていた。私が尊敬するアーサー・C・クラーク氏に手紙を出し、お会いしたいと言い続けていたが返事がなかった。最後の手段で私は住所だけを頼りにしてアポもとらずに彼の自宅の傍をうろついた。その時、いきなり垣根の柵を開けて出てきたのが、Tシャツ姿のクラーク氏だった。私は驚きながらも声をかけた。氏は笑いながら彼の自室に私を招き入れた。彼の机の前に高い手紙の山が積み重ねられていた。氏はその山を指差して「ごめん、ごめん、君の手紙はその山の中にあるよ」と笑った。窓の外に大きなパラボラアンテナがあった。「ああ、あれか。あれで世界中の衛星放送を見ているんだ」。そして私をとなりの暗い部屋に連れて行き、モニターを見ながらアンテナの方位を操作し、画像をとらえた。それはモノクロのロシア語放送だった。クラーク氏はそこで世界からやってくる映像を眺めていたのである。机に戻るとかれは1枚のCDを取り出した。「これ日本のCDなんだけど宇宙の音のような気がして好きなんだ」と言いながら聞かせてくれたのは喜多郎のシンセサイザー曲だった。窓から見える空と海を眺めた。クラーク氏はSKYとSEAとSRILANKA(3S)を愛した。私は最も愛する映画『2001年宇宙の旅』のことを話した。彼は初めての試写の後、涙を流したという。2008年3月19日、氏は心肺機能不全のため90歳で世を去った。その死にいたるまで彼との手紙の交流は続いた。それは2度とあの手紙の山には積まれなかったらしい。

科学的発想は意外にも芸術に通じているという。Yahoo!Storeを作ったプログラマー、ポール・グレアムは彼の著書『ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち』で優れたプログラムを開発する奔放なハッカーたちのことをこう言う。「優れたハッカーは画家に似ている。ハッキングと絵を描くことにはたくさんの共通点がある」。「ハッカーと数学者は、科学をやっているわけではないんだ」。「ハッカーたちは、面白いソフトを描こうとしているだけだ」。「作家や画家や建築家が作品を理解してゆくのと同じようにプログラマーはプログラムを理解してゆくべきなのだ」。子供たちは教科書を読まされるより、プログラムを設計するほうを楽しむ。それは芸術的な作業だという。レオナルド・ダ・ヴィンチは画家であったが、科学にも通じた。ペニシリン発見のフレミングも水彩画家だった。アインシュタインは子供の時からモーツァルトをヴァイオリンで弾く。コンピュータは芸術的発想に結びついているようだ。文系もコンピュータの世界で充分生きていけそうだ。          

(重延 浩)

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