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面倒でも正しいことをすることだよ

<2017年3月15日>

一年のはじまりにどんなカレンダーを飾るかをいつも考える。カレンダーでその一年の空気が変わるような気がする。この二年はイラストレーター江口寿史さんが描いた少女とワインのカレンダーを愛用していた。少女とワインという組み合わせが意外で、しかもそこに描かれているワインの選択がすごい。精密に描かれたラベルを私のソムリエとしてそのワインをたしなんできた。

 和田誠さんの映画カレンダー「IMAGICA SCREEN GRAFFITI」のお世話になっていた頃もある。20世紀の懐かしい映画を一年に12本も鑑賞できた。「街の灯」、「風と共に去りぬ」、「オズの魔法使」、「哀愁」、「チャップリンの独裁者」、「市民ケーン」、「マルタの鷹」、「禁じられた遊び」、「八十日間世界一周」などが月替わりに現れた。フランケンシュタインと一か月を過ごしたこともあった。一本の線で主演俳優の個性を際立たせる芸に感動した。

最近はMilton H. Greeneの写真によるマリリン・モンローのカレンダーを選んでいる。彼はベティ・デイヴィス、マレーネ・ディートリッヒ、ローレン・バコール、グレース・ケリー、オードリー・ヘプバーンらを美しく撮る写真家として知られているが、ひととき恋人だったマリリン・モンローの写真だけは特別扱いである。カレンダーをよく見ると6月1日に「マリリン・モンローの誕生日」とそっと書かれてある。粋な図らいである。

カレンダーを見ながらいつニューヨークへ行けるかと夢を馳せる。ニューヨークの男性タクシードライバー12人をモデルにしたセクシーなカレンダーを見かけたが、これは見るだけで買わなかった。

1970年代の初期、ヒッピーやブラックパワーが台頭してきたニューヨークの夏。私はウエストサイドにあった一泊14ドルの安ホテルで過ごしていた。グリニッジヴィレッジに毎日音楽を聴きに行き、オフブロードウェイの演劇を見ていた。歩きすぎて疲れるとハドソン川のベンチに坐り、1ドルで買ったホットドッグとコーヒーを手に夕景を眺めていた。

2009年1月15日、そのハドソン川にラガーディア空港を発ちシアトルに向かうUSエアウェイズ1549便が緊急着水した。離陸から95秒後、高度838メートルでエンジンに雁群が飛び込むバードストライクにあう。左右両エンジンがストップ、降下していくなか、低空でなんとか機体をコントロールしながら指定された空港へ戻るか、ハドソン川に不時着水するか機長の決断が迫られた。迷う時間はなかった。サレンバーガー機長は、厳冬のハドソン川への緊急着水を選択した。事故から不時着までの時間は僅か3分28秒。外は氷点下6度、水温2度だった。損傷した後部から浸水が始まった。脱出シューターでの救出が始まり、機長は全員の脱出を2度確認し機体を離れた。フェリーや沿岸警備隊の迅速な救助により乗客、乗員155名全員が生還、ハドソン川の奇跡と呼ばれた。機長は英雄として迎えられる。生還の五日後に機長はオバマ大統領の大統領就任式に招かれた。しかし、この英雄は国家運輸安全委員会の厳しい追及を受けることになる。クリント・イーストウッド監督はそれからの機長の葛藤を映画にした。映画『ハドソン川の奇跡』である。

 国家運輸安全委員会は事故発生時に空港にすぐ戻るべきではなかったか、不時着で乗客を危険にさらしたのではないかという調査を開始した。事故当時のあらゆるデータに基づいたシミュレーションが繰り返された。その結果ラガーディア空港への帰還は可能だったという結論を導くことになる。しかしサレンバーガー機長はそのシミュレーションに反論した。それは事故が起きることを知っているパイロットによる操縦シミュレーションであること、バードストライクにより左右の両エンジンが瞬時に止まるという訓練など誰もしていないこと、多くの人命がかかっているという状態での適正な判断には、ある秒数がかかることを計算に入れていないこと。そこに人間的要因が反映されていないと指摘、人工的なデータやシミュレーションに人的要素を加えるよう強く主張した。結局決断まで必要とされた秒数36秒を加えたシミュレーションでは、機体は地面に撃墜していたという結論を生んだ。15か月をかけた委員会の検証で機長の経験による判断が墜落の危機を救ったことが証明された。その事故発生から最終検証までを描いたクリント・イーストウッド監督の映画には自由の国アメリカらしい使命感、勇気、責任感、信頼、誠実、経験への確信、決断力、友情、家族愛、他者への思いやりなどの人間観が流れる洗練された映画になっていた。

私の好きな最後の記者会見のシーンで機長は「自分一人が英雄でなく、乗員、乗客、救助員すべての行動と技術の力がなしたことだった」と語る。映画で語られた副操縦長ジェフリー・スカイルズの言も捨てがたい。「もしこのようなことがまた起きたらどうしますか?」と言う女性記者の問いに「できれば暖かい七月にしてほしいね」と答えた。映画にはないがサレンバーガー機長の名言も粋だ。「事故の時急いでやらなければならない一つは、妻に電話して今夜は夕飯は要らないと言うことだ」。

ある日、機長は次女のケリーに聞かれた。「世界で一番の仕事はどんな仕事?」。「それはしなくてもよい時にでも、したくなるような仕事だ」と答える。長女のケイトには「誠実とはなに?」と聞かれた。機長は「面倒でも正しいことをすることだよ」と答える。

 機長自身がいつも持ち歩いていたという座右の銘を書いた紙が着水の時に川に沈んでしまった。その紙が入った荷物が引き上げられ、手許に戻ってきたという。それは「遅れても災難よりまし」と書かれた小さなおみくじクッキーの紙だった。

 アメリカは大統領も変わり、相変わらずニューヨーク五番街の元大統領のビルから黄金色の強い風が吹いてくる。この機長の言葉「面倒でも正しいことすること」をおみくじにして、アメリカを操縦する五番街のタワーにも密かに貼っておきたい銘である。   

(重延 浩)