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ローマは奇遇が生まれる町

<2017年7月31日 記>

人は知っているようでも、知らないことの方が多い。世の中は知らないこと、知らない人で満ちている。しかし、道ですれ違う人々も、もし何かのきっかけさえあればそれが貴重な出逢いになったかもしれない。そう思いながら知らない町を一人で歩くのは楽しい。 

六月、ローマを目的もなく歩く。ローマは七つの丘に囲まれている。丘に登ると広場がある。太った老人が走り廻る子犬を追いかけている。母親が木陰に置いた乳母車の横で本を読んでいる。尼僧が一人で刺繍をしている。走りこんできた汗まみれの若い女性が、いきなり蛇口から水を飲む。知らないこの人たちの誰かに話しかければ、それが奇遇となって人生が変わることもあるかもしれない。 

丘から見るとヴァチカン市国のサン・ピエトロ寺院をはじめ、いくつものキューポラがローマの真っ青な空に伸びている。その下に古代ローマの遺跡が、そして石畳の道やお店、赤い屋根の家々がうずくまっている。

 私のホテルはポポロ広場の近くにある。広場から放射状に道がローマの町に広がっていく。マルグッタ通りに足を進めると映画『ローマの休日』の世界につながる。歴史ある王国のアン王女(オードリー・ヘップバーン)がローマ訪問の公式スケジュールに疲れ果て、宮殿を抜け出し、自由に町をさまよう物語である。脱出中、町の中で眠りこんでしまった王女を拾い、世話をしたアメリカ人記者ジョー(グレゴリー・ペック)との偶然の出逢い。王女はマルグッタ通り五一番地のジョーのアパートで一夜の睡眠をとる。次の日、訪問中の王女のスケジュールがキャンセルされたという新聞の写真を見たジョーは、女性が王女であることに気づき、秘かにスクープ写真を友人のカメラマンに撮ってもらう。王女がジェラートを食べるスペイン広場。髪を短髪にしたトレヴィの泉のそばのヘアサロン、スクーターで走り廻るヴェネツィア広場。古代遺跡のコロッセオ。ジョーはローマの町で彼女と行動を共にするうちにその純真さに心惹かれる。ふたりは偶然が生みだした恋におちる。しかしジョーは王女との一夜の恋を永久に胸に秘めることにし、王女が滞在していた宮殿に送り帰す。熱い涙の口づけの後、王女は振り向くことなく宮殿に帰っていく。いかにも1950年代の恋物語だが、ローマならそんなハプニングが生まれるかもしれないと思える幻想の町である。

 二人がサンタ・マリア・イン・コスメディン聖堂にある「真実の口」と言われる海神トリトーネを訪れたとき、「嘘を言う人は海神に手を食べられる」という伝説をジョーは語る。そしてグレゴリー・ペックが口の中に手を差し込み、その手を引き抜くと彼の手首がなくなっているという悪戯(いたずら)の演技をみせた。ヘップバーンはその悪戯にほんとうに驚き、そのあと騙されたと知り、無邪気で真剣なリアクションを見せた。それが逆に彼女の魅力として評判を呼び、一躍アカデミー賞の主演女優賞を受賞する。偶然が幸運を呼ぶ。 

1960年公開のフェデリコ・フェリーニ監督による『甘い生活』はローマを退廃的な街として描いていた。マルチェロ・マストロヤンニとアニタ・エクバーグが戯れるトレヴィの泉のシーンは鮮烈な記憶を世に残し、今もトレヴィの泉には裸になって飛び込む女性がいるという。

 それから十二年後にフェデリコ・フェリーニが描いたもう一本のローマの映画『フェリーニのローマ』も私を感動させた。1972年の作品である。イタリア映画はロベルト・ロッセリーニやデ・シーカの時代からフェデリコ・フェリーニ、ベルナルド・ベルトルッチ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ピエル・パオロ・パゾリーニの時代へと移っていった。フェリーニはそのころの混沌とした現代ローマを古代と現代が交錯するファンタジックな映画として描いた。

 ここで私の話は突然飛躍する。自由なローマに免じて許してほしい。1977年に私は第1回「アメリカ横断ウルトラクイズ」のプロデュースをしていた。アメリカに世界一巨人の女性がいると聞き、特別ゲストとしてサンディエゴに招いた。身長が230センチを超える大きな女性だった。二人で打ち合わせのためにレストランに行き、向かい合わせの席に坐りふと下を見ると私は彼女の太い股の間に挟まれていることに気がついた。彼女は二人分のシャトーブリアンを頼む。普段は秘書の仕事をしていると言う。飛行機代が二人分になったことを私に詫び、「でも私、車は自分で運転しているのよ。すごく狭いの…」と笑う。それはまるで少女のような無邪気な笑いだった。そして嬉しそうに太い腕に巻きついた腕時計を私に見せた。「これフェリーニ監督から貰ったの」。フェリーニの名を聞き私は驚く。彼女は映画『フェリーニのローマ』でグロテスクな衣裳を着飾る群像の重要なひとりに選ばれていたのだ。ローマのチネチッタ撮影所で撮影した時のフェリーニ監督の優しさについて、彼女は夢中で語り続けた。フェリーニに愛された可愛い女性だったに違いない。私の記憶から消えることのない未知だったこの大きくて優しい人との楽しいデイトだった。 

最後に、『ローマの休日』のアン王女の名言を残す。ジョーも出席していた王女の公式記者会見で「どこの首都がお気に召しましたか」とひとりの記者が質問し、王女はいつも通り横に立つ侍従の囁きに従って「それぞれの都に忘れられないことがあり…」と話をはじめるが、突然「いいえローマです。なんといってもローマです」と言いきり、ジョーの顔をみつめる。王女アンの自由で、真実の告白だった。

現代社会には虚言と暴言と無知が渦巻いているようだ。七つの丘の無い平地の東京にはそれを俯瞰する視点がないのかもしれない。海神トリトーネの真実の口を借りてきて虚言か真実かを決める楽しい都市計画を提案するローマ風のイベント設計者はいないものだろうか。行政が定める区画整理、地名の変更には都民の心が反映しているのだろうか、歴史的な地名が消え、ただただ四角いビルが並び立つ風景に人の思い出は残るのだろうか?丘の上から眺めた明るいローマの空がもう懐かしくなる。       

(重延 浩)