column

南北の国境を越えて流れるピアノコンチェルト

<2018年7月31日 記>

銀座の焼肉店で久しぶりに冷麺を食べる。私の冷麺の記憶には今の時代に連なる歴史的ストーリーがある。

 北朝鮮が肉眼で見える白翎島(ペンニョンド)を訪れたことがある。1993年のことである。朝鮮半島の西193キロ、黄海上に浮かぶ韓国最西端の島である。仁川から高速船で4時間ほどかかる。軍の船が警護で同行する。北朝鮮が望める海の最前線であり、島の海岸には鉄条網が並ぶ。島には韓国の軍人が溢れる。

 朝鮮戦争勃発から43年、軍事的緊張が続くDMZ(非軍事境界線)の動植物の生態を撮影するスペシャル番組で、毎日北朝鮮から白翎島の池に水を飲みに来て、また帰って行く一羽のカラシラサギを撮影に行った。同行した鳥類学の権威元炳吽(ウォン・ピョンオ)教授がつぶやく。「鳥はいいな。人は行き来できないのに…」。教授の父は北朝鮮に残ったままだった。

 撮影の途中スタッフとひとときの昼食をとる。招かれたのは素朴な民家だった。そこで出された冷麺。その味は今でも忘れられない。あの出し汁はなにからできていたのか? それを聞く余裕もない緊張感あふれる取材だった。外にはそば畑が広がっていた。 

今年の4月27日南北首脳会談で金正恩朝鮮労働党委員長が、文在寅韓国大統領に平壌から持ち込んだ冷麺を召し上がっていただきたいと言った。平壌の有名店玉流館の冷麺が北朝鮮側から運ばれ、店の首席料理人も板門店に派遣され、できたての味を整えた。麺は韓国の麺よりかなり太く、スープは鶏肉の香りを漂わせるという。南北融和への道を開くため、緊張が解ける和やかな時間になるようメニューが配慮された。 

1993年の私の番組は朝鮮戦争勃発の記念日6月25日に板門店で撮影する特別許可を取っていた。だが白翎島は3日前から濃霧が続き、船は出なかった。もう時間の限界というとき霧が晴れ、ようやく高速船が港を離れた。

 軍人が武器で監視し合う幅4キロの軍事境界線とそれを囲む人民統制線。そこに丹頂鶴が飛来し、美しい羽根で愛の舞を見せる。地雷が埋められて人が入れない平地の低い木々には天敵を恐れずにシラサギが巣を作り、卵を育てる。巣立ち前の雛が餌を求めてさえずる。地雷が埋められ、人が入れないエリアが逆に動植物の自然環境を守るという皮肉な楽園になる。DMZを自由に歩く野生の鹿キバノロや翼を広げると3mにもなるクロハゲワシの珍しい生態も撮影した。

 DMZでは巨大な拡声器で韓国からのK—POPと金日成主席の太く低い演説が大音響で競い合い、監視する兵士たちを悩ませる。それは兵士に互いの文化、思想を押しつける音響の戦争だった。北から掘られた長さ1635mの第3南侵トンネルに特別に案内され、撮影する。南北両軍が武器を持ってにらみ合う軍事境界線の真下にあり、境界を貫く形になっている。リポーターの奥田瑛二が軍服を着てその中に進む。

 途中厚いコンクリートに遮られる。北からの攻撃を遮る壁でその先端に小さな部屋があり、兵士二人が座っていた。机の上に鳥籠が置かれ、二羽の十姉妹が鳥籠に飼われていた。北からの毒ガスを感知するためだという。それが最前線の兵士たちを和ませていたにちがいない。

 6月25日、霧で出港が遅れてようやく白翎島から仁川に着き、そこから高速道路で板門店に走る。特別の許可がおりた開戦記念日の撮影制限時刻が迫っている。高速道路は混み合い、私達のミニバスは途中から突然高速道路の予備通路を逆走する。驚いた私達に運転するコーディネーターが振り向いて「大丈夫です。私、特務工作員でしたから…」と微笑んだ。 

板門店は静寂である。中央に境界線がある。金委員長がまたいだ横線がある。その道をはさんで並ぶ小舎。中央の南北につながる道の両翼には緑色の小舎が建っている。その中に入れてもらう。部屋の中にもそこが国境という線にケーブルが敷かれ、その上に会議用の机がありそれぞれの小旗が立つ。 

板門店の撮影を終り、私たちは南北の交わりを象徴するある試みを実行した。国境となっているイムジン河の橋のたもとに行き、河川を守る軍人施設にモーツァルトのピアノ協奏曲ハ長調21番のカセットテープを渡す。軍事施設の音響担当兵は戸惑いながらそれをセットし、スタッフに「モーツァルトとは誰だ。曲の内容は?」と問う。河に夕陽が沈みはじめ、それに答える時間はない。許可した上官の名前を言うと、頷いて音源のスタートボタンを押してくれる。ピアノのメロディーが流れてくる。夕陽がイムジン河の果てに沈んでいく。ピアノコンチェルトと金日成主席の演説。それが妙に相性よく交わり合って流れていく。ああこれが戦争の次元を越えていく一つの調和だと思った。 

それから25年の2018年。二つの国はDMZの拡声器を取り払いはじめた。

 私はかつて緊張関係にあった中国と台湾に交渉し、日本で中国のヴァイオリニストと台湾のピアニストのデュオコンサートを実現したことがある。中国本土と台湾を隔てる海峡を超えて結ばれた初めての文化交流である。もし本当に休戦が終戦になるのなら、いつか北朝鮮のピアニストと韓国のオーケストラで日本の指揮者がタクトを振るモーツァルトのピアノコンチェルトのコンサートを開きたいなどと空想する。今はそんな平和へのプロデュースを志す時ではないかという思いが募る。

(重延 浩)

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