column

これは、人生の決め球だ!

<2019年4月30日 記>

2019年3月22日の夜、マリナーズとアスレチックスの開幕シリーズ。私はテレビでイチロー選手の引退を、ある感慨を持って見つめていた。その夜、試合が終わっても東京ドームから帰ろうとしない観客の熱い空気。主役のイチローは球場でそんな事が起きていることを知らなかったという。ヒーローの姿を待つこの不思議な密度を持った時の流れ。テレビはそれを中継し続ける。その〈時間〉を共有する。「ああ、これがテレビジョンだなあ」と思う私の〈感慨〉。「テレビジョンとは状況である」という私のテレビ観と一致する。 

私がイチロー選手に会えたのは2003年春。イチローは2000年末にシアトル・マリナーズに入団、2001年にいきなり首位打者、新人王、盗塁王、MVPに輝く。2002年にも208安打を記録した。2003年球春の前にそのイチローと北野武、二人のヒーローの対談番組を広尾にある大正時代の洋館で収録。私は新宿のホテルにイチロー選手を迎え、「今バスで向かっています」と撮影現場に連絡する。「たけしさん、もう玄関で待ちきれなくて、両足で足踏みしながら待っているそうです」とイチロー選手に伝えると彼は笑って、「ホントですか? うれしいなー」。そしてバットを取り出し、「これ、たけしさんに差し上げたいのです。僕が使っているバットですが、いつお渡ししたらよいでしょうか?」と私に尋ねる。「ア、じゃあ、お会いしたらすぐ渡してください」と会場に着く。バスにたけしが駆け寄ってくる。二人の初対面。イチローはバットを渡す。たけしがうれしそうにそれを受け取り、マネージャーに「おい、このバット隠してくれ。軍団の奴らに盗まれるから…」。二人にグローブが渡され、野球少年だった二人が庭で一球一球心を込めたキャッチボールをする。「イチロー×たけし・キャッチボール」のテレビ撮影がはじまる。 

番組のナレーターを宮沢りえさんにお願いした。すぐにOKの返事が来た。宮沢さんはたけしの草野球チームでショートを守ったことがあるという。「それがすごいのよ。ピッチャーとキャッチャー以外はみんな私の周りに集まって来て、守りにつき、大丈夫、あなたには絶対にエラーをさせない!」って。 

対談が始まる。たけしさんの質問はきわめて専門的である。「イチローさんが自分の中でこれが一番と思う数字は?」イチローは答える。「あまり知られていない数字ですけどね、ランナーが一塁にいてバッターがライト前にヒットを打った時、ランナーを二塁から三塁に進ませなかったケースの数ですね」。たけしは頷く。「ああ、そうかあのレーザービームの送球からだよね…」。 

黒柳徹子さんもイチロー選手の大ファン。ヤンキースに移籍したイチロー選手から球場に招かれたと嬉しそうに私に話す。「でもね」と黒柳さんは心配そうに言う。その試合って夜にやるんですって。夜でも野球って見えるのかしら…」!?。なにせあの長嶋監督に「球を打った人はどうしてみんな右側の方に走るのですか? 左側に走ったらだめなのですか?」と聞いた人である。優しい長嶋監督はこう答えたと言う。「左に走ったら、右から走ってくるランナーとぶつかってしまうんです」。そんな黒柳さんだから、ニューヨークの土産話が期待できる。帰国談。「見てきたわよ。楽しかった。でも重延さん、野球の選手の背中に大きな番号が書いてあるでしょ。あれが何のことかわからなかったわ。イチローさんの51って、足のサイズかと思ったけど、それにしては大きすぎるわよね」。この話は絶対にイチロー選手には秘密にしておこう。 

対談の時、長嶋監督のことをたけしは「長嶋さんは、すごい練習をしたと言っていた」と言う。イチローは「でも長嶋さんの野球、あれはやっぱり作られたものではないですよね。長嶋選手はすごい天才です」。ではイチロー選手は? とたけしは聞く。「僕は天才ではない。僕はどうヒットを打ったかを説明できる。天才はどう打ったかを言えなくても打つんですよね」。そして、「僕はいい加減にやってきてよかった。誰かに教えてもらって形を作って来たわけではなく、自分でやりたい放題にやってきた。それでヒットだ、ホームランだと打ってきた。“それでいいんじゃない”と思う。そのスタイルはこれまでも、そしてこれからもそのままでしょうね」。その長嶋とイチローの比較をたけしは、「振り子が両端に振り切る右と左の両極のように凄い二人だ」と分析する。さらにイチローは言う。「まあこんなものかなあという感覚だからこそ、自分にまだ余裕が残るんです」。

糸井重里さんとイチロー選手の対談をプロデュースした時のことを思い出す。イチローは言う。「野球は失敗のスポーツです。特に打つことに関しては、もうどれだけ頑張っても、実はゴールはないんですよ。」

イチローの野球観は必ず人生に通じる。 

イチロー引退の試合が終わった3月22日から23日にかけて深夜に開かれたイチローの記者会見は1時間25分も続いた。球場のファンがずっと帰ろうとしていないことをイチローが知った時、彼は球場に戻り、観客に手を振る。そしてまるで映画の名場面のような感動を体験したという。「死んでもいいということはこういうことでしょうか」と記者に語る。

私は家に帰って、眠る前にそっとあの対談のときにお願いし、二人にサインしてもらったボールを手に握り、感触を確かめる…。これはきっと、人生の決め球だ!

(重延 浩)