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偶然に出逢えた「内なる精神」の言葉

<2019年8月10日 記>

小田急線下北沢駅から表参道に向かう毎朝の出社。優先席に誘われないようにわざと扉の横に立つ。電車が出る直前にキャリーカートを引いた女性が走り込むが、寸前で扉が閉まる。「そんな」と少し恨むような表情に映画のワンカットのような魅力があった。電車は女性を置き去りにして去る。そのときに、ある映画のことを思い出した。グウィネス・パルトロウ主演の『スライディング・ドア』、電車に乗れた女性は帰宅の時が早まり、同棲する男性の浮気現場に出会ってしまう運命となり、乗れなかったその女性はホームで隣に座った男性と新しい恋の道を歩むという運命の偶然を描いた映画である。もう一本は時代を遡る1993年の作品『スモーキング/ノースモーキング』。「その時、この女性が一本の煙草に火をつけたか、つけなかったか」で変わっていく運命の分かれ道の物語だった。アラン・レネが監督し、企画者にフロランス・マルローの名前がある。フロランスはアンドレ・マルローの娘である。人と人の出会いはすべて時間の偶然がつくり出す。右に行くか、左に行くかで運命は分かれる。面白くもあれば恐ろしくもある。 

ヌーヴェル・ヴァーグの旗手アラン・レネ監督が1959年に監督した最初の長編映画『二十四時間の情事』は広島で偶然出会った日本人とフランス人の男女が戦争の傷に触れながら恋に落ちていく映画だった。秀作と言われていたがカンヌ国際映画祭ではその強烈な社会派の主題を警戒され、コンペティション部門に招待されなかった。しかしこの作品の価値を認めた文化大臣のアンドレ・マルローは審査対象にはならないが、部門外での特別上映を実現させた。マルローの娘のフロランス・マルローはその後レネ監督の名作『去年マリエンバードで』や『アメリカの伯父さん』などの助監督を務め、その縁でレネ監督と結婚する。 

1989年、私はアンドレ・マルローのドキュメンタリー番組を企画し、演出することになった。アンドレ・マルローは小説『人間の条件』を書き、ドゴール大統領のもとで文化大臣を務め、その一方で『東西芸術論』の著作も書く芸術評論家でもあった。二十の顔を持つ男と言われた。日本を四度も訪れ、その芸術を愛した。

一歩一歩、私に起きたある偶然が近づいて来る。私は日本のマルロー研究家を通して、娘のフロランスに手紙を書いた。「日本に来て父マルローが好んだ日本芸術、自然を追体験してほしい、そして父があなたに残した言葉を私の番組で語ってほしい」と。彼女は作家フランソワ—ズ・サガンをマネージする有能な編集者になっていた。彼女ならきっと父親のことを知的な言葉で語ってくれるだろうと想像した。しかし返事はまったく来なかった。私は彼女の出演は諦めた。しかし運命は一本の電話で急変する。 

ある日女優のジャンヌ・モローから突然国際電話がかかってきた。ジャンヌ・モローは私の美術番組に毎年出演し、芸術が何を意味するかを語り合う同志だったので彼女からの電話に驚くことはなかった。しかし、その内容が意外だった。「あなた、フロランスに出演を頼んだでしょう」、「ええ」、「どうして私に言わないの。フロランスは私の親友よ。今偶々彼女の部屋に遊びに来たら、日本の制作者にお断りの手紙を書いていると言うの。日本のどこにと聞いたら。重延さんと言う人だって言うじゃない。私すぐ、断っちゃだめよ、それ引き受けなさいと言ったわ。今、彼女の横で電話かけているの。彼女出るわよ、ほら頷いているわ。あなたの番組に出てくれるって」。運命は逆転した。なぜジャンヌとフロランスにそんな親密なつながりがあるかはあとでわかった。フロランスはトリュフォー監督の『突然炎のごとく』の助監督も務めていて、ジャンヌと気が合い、それ以来、親友になったという。そして、これも偶然、彼女と同じアパート内に住んでいたと言う。 

番組は父マルローの日本の旅をたどるフロランスの旅となる。まずフロランスはマルローが最も高く評価する根津美術館の『那智滝図』の前に立つ。自然を超える画家の表現が見える、「自然を精神化させている」とマルローは言う。熊野に行き、自然林の中を垂直に落ちる那智の滝を見る。水の飛沫が樹木の中を霞となって広く漂う。マルローの言葉、「内より実在する自然である」。 

フロランスはこう言う。「私は絵画、そして自然の那智の滝の両方を同時にみました。絵画の那智滝は〈美の極致〉、自然の那智滝は〈永遠の一瞬〉。二つの体験をしました。それはめくるめくように瞼に浮かぶ素晴らしい旅でした。父は〈日本の静謐〉という言葉を使いました。でも私は日本の静謐の裏に激しさもあると思いました。その二つが同時に私に襲いかかって来るのです。それがまるで光と影のように私には思えるのです。私は自然を前にした芸術家のあり方を教えられました」。私は素晴らしい父と娘の言葉を聞いた。まさに演出家にとってこの上もない醍醐味の一瞬である。私の演出作品の中でも指折れる偶然が生み出す秀作が生まれた。 

伊勢神宮で、垂直に立つ杉の道を通って、アンドレ・マルローは自然の神に感動したという。「未来に何が起きるかわからない」。「だから私は、人間に、人間が気づかないその偉大さを気づかせたい」。この偶然と必然を語るマルローの言葉はすべての人につながる。あの日の偶然は幸運の回路だった。だが、あしたは不運の回路に迷うかもしれない。しかしそれが生きるということなのだから…。

(重延 浩)