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自由への道連れ、ほんとうの人間らしさ

<2019年11月10日 記>

私は椎名林檎のファンである。毎年紅白歌合戦は彼女の登場を待って過ごす。2019年11月13日リリース予定の『ニュートンの林檎』が楽しみである。椎名林檎の歌のタイトルはいつも楽しい。予定されている歌は「幸福論」、「すべりだい」、「正しい街」、「歌舞伎町の女王」、「ここでキスして。」、「ギブス」、「公然の秘密」、「自由へ道連れ」など。そのタイトルには「今という時」「忘れかけられている哲学」、「ほんとうの人間らしさ」という感覚が優しく、美しく、そして奔放に描かれている。オリンピックのクリエイティブスーパーバイザー・音楽監督に彼女が選ばれたことはとても嬉しい。これほど日本的感覚を現代化している人はいないと思うからだ。

 と思っていたら、なぜか彼女の登場はキャンセルとなった。「幸福論」、「ほんとうの人間らしさ」が無い人の判断である。そして音楽のプランが乱れに乱れたオリンピックとなる。MISIAの国家斉唱だけが光り輝いていた。

今独創性が失われはじめているのではないかと感じている人も多いだろう。独創を伝える場所や時間が失われ、普遍に近い表現が氾濫する時代になった。

 1964年の市川崑監督による『東京オリンピック』は選手たちを独創的に描いたドキュメンタリーとして高い国際的評価を受けた。そのスタッフに谷川俊太郎、安岡章太郎、細江英公、黛敏郎、和田夏十、宮川一夫などの名を見ると当時のクリエイティブな残像がみえる。

1972年のミュンヘン・オリンピック。開催中の9月5日、「黒い九月」と名乗るパレスチナ武装組織によるテロ事件が発生した。イスラエルの選手とコーチら11名が殺害された。その時の公式記録映画は『時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日』というタイトルだった。シュレシンジャー、アーサー・ペン、ルルーシュ、市川崑ら8人の映画監督が監督したオムニバス形式の記録映画だった。シュレシンジャー監督はマラソンを記録。事件で競技予定を延期されたイギリスのロン・ヒル選手を記録、テロの悲劇に巻き込まれながらも走る一人の選手を描きながら、時を止めたくなる美しい一瞬を描く。

オリンピック公式記録映画はいろいろな歴史を経験した。記録映画の中で特記されるのはレニ・リーフェンシュタール監督による『OLYMPIA』(『民族の祭典』『美の祭典』)である。この映画はナチの宣伝行為という非難も受けているが、そのことを超えて、映像表現の歴史に残る記録映画だった。30代半ばの美貌の女性監督リーフェンシュタールは望遠レンズ、スローモーションによる全く新しい演出スタイルを試み、ヴェネツィア国際映画祭の最高賞を受賞した。

 1977年、私はレニ・リーフェンシュタール監督を日本に招いた。それは彼女にとってはじめての日本訪問だった。NTVでの番組の企画で、彼女とベルリンオリンピック出場の日本選手、200メートル平泳ぎの前畑秀子、三段跳の田島直人、棒高跳の西田修平、1万メートルの村社講平ら偉大な選手たちとレニに再会してもらい、記録映画の真実のエピソードを語ってもらう企画である。時は1936年、ナチ支配下のオリンピックである。レニのナチへの文化協力は決して否定できるものではない。そのレニが日本に到着したとき、私は空港で彼女を迎えた。その時真っ先に彼女を見つけて近寄っていった男性がいた。彼は懐かしそうにレニと語りあっていた。それがあのマラソンの金メダリスト孫基禎選手だと気がついた。彼は朝鮮半島の出身だったが日本選手として登録され世界新記録で優勝した。金メダルは世界に日本の栄光と伝えられた、彼は日本人ではないという意識を持ち続けていたので今回の番組収録も拒んでいた。孫さんはチラリとこちらを向き、頭を下げて去っていった。

 私はこの収録で参加者の知られざる話を聞き、歴史的なオリンピックがナチの支配下にあってもそれを超える人間的な祭典であったことを示してほしいと思っていた。驚いたことにあの孫選手も突然スタジオに現れた。収録は和気藹々。前畑秀子さんが私の袖を引き、村社講平さんを指差してうれしそうに囁いた。「私ね、あの村社さんとベルリンで噂になったのよ」。

レニは戦後いくつもの戦勝国の尋問を経て、直接の戦争犯罪者としての審判は受けなかったが、生涯二度と映画の監督はしなかった。その後彼女は写真カメラを手に、アフリカのヌバ族の美しい姿態を撮った写真集を出版、世界の賛辞を得た。私は個人的に彼女に遠慮なく聞いた。「あなたはヒトラーに愛されていたのですか?」彼女はこんな答え方をした。「あなたは私が映画で選ぶ男優を見ているわよね。それならわかるでしょ、ヒトラーは私が決して愛さない顔よ」といつも美学の感覚で語る。私はその言葉を信じた。その後こう言葉を続けた。「私が欲しかったのはただフィルムだけ。それがなければ私は生きていけなかった」。そして彼女は映画『OLYMPIA』のオープニングで踊っている巫女たちを指さし、「これ裸が少し透けて見えるでしょ。これ、これ、この薄絹の衣で踊っている子、私なの。秘密よ。よく許されたと思うわ」と無邪気に笑った。1年後レニから海の中でカメラをかまえるシュノーケル姿の絵ハガキが届いた。

 「ねえ私、潜水の免許取ったの。70歳をこえているけど年はだましてね」。そして海中の美の世界を撮影し、写真集を出した。それはまさに椎名林檎が唄う「自由へ道連れ」、素敵な人生への誘いである。レニは言う、「オリンピックの選手は美しかった」、「青春は美しいのよ」。

(重延 浩)