column

デジタル系の全体主義者にならないように

<2020年12月15日 記>

コロナが地球を飛び交う夜、表参道から空を眺める。月が少し悲しげな光を放ち地球を見下ろしている。9月の中秋の満月、10月には金星(ヴィーナス)が美しく輝き、月を誘惑するように接近した。11月の満月は半影月蝕。地球の影が満月の端を削る。でもこの小さな惑星の地球で今なぜ人が必死にウイルスと戦わなければならないのだろうか、そんな問いかけを無言の宇宙空間にしてみたくなる。

この小さな星で知的生命体がスマホやパソコンを操ってひしめく時代。社会はコロナを契機に便利で安全なテレワークシステムを発展させた。だがラッシュアワーの地下鉄をぎっしり埋めるマスクの顔とスマホを操る手の群れを見ていると、ジョージ・オーウェルが描いたSF小説『1984年』の世界が頭をよぎる。AIが進化し、人の機能を複製し、機械が人に代わる労働をすると、デジタル系の全体主義国家になってしまうのではないか。

小説『1984年』の翌年の現実の1985年に私は胸をときめかせながらひとりの男性を訪ねた。ボストン郊外の緑に囲まれた瀟洒なレンガ色の一軒家。そこはマサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボ人工知能研究所を創立したマーヴィン・ミンスキー氏の家である。今や誰もがAI(人工知能)の父と認めている人である。彼は私が最も敬愛する映画『2001年宇宙の旅』のアドバイザーだった。彼の「人工知能が人間の脳の発達と極めてよく似た複製を行う」という言葉は映画(スタンリー・キューブリック監督)にも、原作(アーサー・C・クラーク著)にも使われている。

ドアをノックすると猟犬のポインターが迎えに出て、家の中に招かれ、複数のコンピュータが並ぶ客間に誘われる。真紅のセーターを着たミンスキー氏はシンセサイザーを弾きながら私の質問を聞き、愛犬を指さして答えてくれた。「今使っているノイマン型コンピュータはまだ犬と猫の違いさえ正確に理解することができないのだよ。実は人工知能は専門的な知識より、〈常識〉を持つことの方がずっと難しいのだ。なにせ人間は何十万年もの時間をかけて複雑に成長してきた生き物だからね。単に知識だけではなく、音楽を創る、ユーモアに溢れた話をするというような優れた表現方法を知っているのだ。人間の赤ん坊から大人に成長していく過程をコンピュータが学び、その方法を複製できるようになるにはまだ二百年から三百年はかかるだろうね」。
 そのころ(1985年)MITの研究所ではヒューマンインターフェイスと題してこんな研究が進められていた。VRフライトシミュレータの開発、自動翻訳機、音声認識、3Dシティマップ(アスペン市)。見ること聞くことに私はただ驚くばかりだった。新鮮な驚きが40代だった私を強く刺激した。

今は便利な距離間の分離になっているテレワークの社会システムが進む。それはたしかに経済的な有効手段となっている。しかしそれが社会全体のシステムとして徹底しすぎると、フェイスTOフェイスのコミュニケーションが封鎖される。それは人間にとって幸せなことなのだろうか。デジタルコミュニケーションが徹底しすぎると、もしかしたら人工のコミュニケーションだけが世に飛び交う社会にならないか?  温かみのある握手、喜びの共感、そして動物や植物を愛する心、人間の独創的才能を見せる創造的表現、創造的交流の場が失われないか? それは文化的意義にとどまらず、経済環境の中でも信頼に基づいたコミュニケーションを失う決定的打撃にならないか? データばかりの人工的な情報ではなく信頼と創造に基づいた多様な情報が実は価値をもつものではないか。それは複製しにくい才能かもしれないが、それが伝承されていくような世界も保つべきではないのか。

ミンスキー氏がある講演でこんなユーモアを語っていたことを思い出す。それはコロナのことなど心配していない時代の先験的講演だった。彼は語り始める。「握手というのは危険だよ。でも地球は今、人口が多すぎる。環境の維持のためには今の世界人口を減らしたほうが良い。今日は30回も握手してしまったよ。人口減らしに貢献しちゃったかな?」。これは彼独特の毒舌的ユーモアだが、彼はもしかしたらコロナの出現という人間の運命的悲劇を予感していたのだろうか、とさえ思う。その言葉を微笑みながら語る彼のユーモアにあふれたやさしい表情を私は思い出す。進化するAIの姿を眺めながらも、それを人間的に受けとめたまま、ミンスキー氏は2016年に89歳で世を去っていった。

現代は一人一人が生きる原則を見失っているのかもしれない。実はそんなに頑な責任をみんなが背負わなくてもよいのではないか。利己的な権力を持たなくてもよいのではないか。権力は幻想である。ごく身近な人や動物や植物を愛すること、それができないなら社会を変える能力はない。そうは思いませんかとコロナは言っているのかもしれない。地球から夜空を眺めるとそんな想いが広がる宇宙が存在する。それは、ほんとうに神々しい風景である。

(重延 浩)

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