column

人間はふしぎな愛の生命体

<2021年3月31日 記>

人生で驚くべき惨事に襲われたことが一度もないという人はいるでしょうか。バイデン米大統領が語った言葉に、私は衝撃を受けました。今のコロナで失われたアメリカ人の命が、第1次世界大戦、第2次世界大戦、そしてヴェトナム戦争で命を失った戦死者の総数を超える死者数になったというスピーチです。一つ一つの戦争には命を懸けた人がいました。そのために人々は限りなく大切な命を失ってきました。その命の数を超える悲劇を受けとめざるを得ない今のコロナ感染との戦い。そのためにそれぞれが持っていた人生を失い、それに伴ってその人の記憶に残るすべての情報、すべての愛に包まれてきた人生も消えていくという惨劇、人はいかに無力な存在なのかと一人一人が自分で自分を理解させなければならないこのコロナの奔放な感染。それは神だけがひそかに知っていた世界としか言い様のない非情な悲劇です。今私たちはその世界の真っただ中にいます。どうかそれから逃げ切って生き延びてください。それがこれからの未来を救う戦略です。学んできたことの総力、素晴らしい知識と心をコロナウィルスにも理解させる強いオーラを漂わせようではありませんか。それが私たちの、人を傷つけることのない柔らかい武器だと思って…この戦いを終結させたいと希っています。

でも人間という生命体は、なんと楽観的な生命体なのでしょうか。このコロナという生命体に反抗という戦いをしかけない。いや、できないと思っている。これが自分たちと異なる生命体との戦争だと考えることなく、自衛というだけの守勢にまわりっぱなしの戦法で対処する。これがもし私たちの知るあの人間同士の戦争だったなら、感染地域を爆撃しかねない恐ろしい心さえ持っていた人間も、今は攻撃をしないという姿勢で運命に服し、マスクだけでそれを受けとめています。平和な防御策、やはり人間はそうした優しい心を持った生命体なのかもしれませんね。人間はそういうふしぎな愛の生命体のようですね。

そう思うと表参道を歩いてみてもひとりひとりがそれぞれ固有の歴史を持つかわいらしい生命体に見えます。でもその人たちはみな、それ以上の劇的な歴史、父と母との偶然なる出会いの連続から生まれてきてた人々なのです。父も母もお互いの父母を合わせると4人の祖父母がいて、その祖父祖母たちにもさらにその親たちの歴史を、数百万年前からの人類の歴史を考えると何十万の男と女の組み合わせを間違いなく選んできた奇跡の私がいるのです。一体何組の男と女の組み合わせから生まれてきた「私」なのかと想像します。私はある数学者にその確率を聞いたことがあります。数学者は鉛筆をなめながら計算し、答えてくれました。「そうですね、ざっと計算して、それは生まれてから死ぬまでの毎日、宝くじの1等3億円に当選したという幸運が続く確率ですね」。なるほどそうすると私たちは全員がみな奇跡の確率で生まれてきた人なのだと思います。そう考えれば私たち地球人は、みな奇跡の人なのです。そう感じとれば、人の死の重みが異なって聞こえます。「今日は何人がコロナで亡くなられました」という報を、重く感じて深く頭を下げなければならない日々なのです。私たちはみんな奇跡人が集まるコミュニティで生きているのです。そんな人々がどうして殺戮し合う戦いをいつも続けるのでしょうか。その奇跡の人が生き抜く地球という環境を破壊していくのでしょうか。そんな思いになりませんか? 人と人とを人種や性別で区分けする意味のない差別をどうして思いつくのか、そして小さな組織の中で、権力を競う人と人の葛藤がいつも生まれるのか、人を傷つけ合う攻撃的心理が働くのか、それに思い当たる人々が、増えはじめた現代を憂えて、コロナの鞭が私たちに警戒の打擲をしているのかもしれませんね。コロナより人間の方が怖いと思う人も多いのではないでしょうか。

前の文に頷き、涙ぐむ人もいるような社会です。コロナの攻撃の前で、人間という生命体は小さくて繊細な存在です。コロナに私たちのことを、かわいらしいと思っていただけますように…。コロナにおびえる日々には、初めての体験に出逢うことも多い毎日です。マスクをして、人とすれ違い、いきなり親し気な言葉をかけられる対面もあります。つい失礼なことにならないよう知ったかぶりをして偽善の挨拶をしてしまう自分の姿に呆れたりもします。それから怒られるかもしれませんがマスク美人といえる女性がとても多いことに気づきませんか、そんな楽しい偶然の出逢いもあるのでテレワークをあきらめて何とか出社します。人間というものは、そんな偶然の出逢い、新しい出逢いの連続でどんなに自分の環境を素敵な思い出とし残すことができるのかということを、最近、再確認するようになりました。リモートの画面でマスク越しに紹介される無機的な出逢いは実に味わいのない遭遇にすぎないと思いませんか?みなさんは愛しい人と初めて出会ったときのことを思い出しませんか? 人間にとってどれだけ偶然の出会いが人の運命を決めてきたかをコロナ時代の寂しい隔離で知らされます。さあ、そんな新しい体験を舞台に、コロナ時代を素敵に楽しむ時間に模様替えしようではありませんか。

ふと気がつくと、今までは「である」文で書いてきたメッセージだが、今は「です」文で書いていた。でも今は「です」調の方が人々に優しく伝わる心の感染ができるのかもしれない…。

(重延 浩)